2009年10月30日金曜日

体という寺院を大切にする

数ヶ月前、わたしゃある講演者仲間とランチをとりました。
多忙なスケジュールのなかでどうやって集中力を保ち、バランスをとり、最高の状態を維持するかを話し合っていたとき、彼が説得力のあるひとことをいったのです。
「ロビン」と、彼はいいました。
「多くの人びとは、神の教えに基づいて、それを中心に生きていけるように、定期的に協会や寺院に行くんだ。ばくはちょっと違う。ジムに行くのさ―そこがぼくの寺院だよ」。

どんなに忙しくても、彼は午後五時半になるとオフィスを閉めて、ジムまで”日々の巡礼の旅”に出かけ、ランニング・マシンで数参る走るそうです。
なにをもってしても、健康としあわせをもたらすその時間を彼から奪うことはできません。

友人のその意見を聞いて、わたしは処女作で利用した古代ローマ人たちの格言を思いだしました。
「健全な精神は健全な身体に宿る」。
申し分なく豊かな人生を送りたいと思ったら、わたしたちは体を寺院のように大切にあつかい、神聖なものと考えてあげる必要がある、ということも実感しました。
定期的に運動をすれば、健康になるだけでなく、はっきり考えられるようになって、創造性が高まり、われわれの日々を支配しているかのような過酷なストレスを処理できるようになるでしょう。

ある調査によれば、運動をすれば若返るだけでなく、長生きできることが立証されました。
ハーヴァード大学の一万八千人の卒業生を対象にした研究では、一時間かけて運動をするたべに寿命が三時間延びることがわかりました。
体のフィットネスについやした時間ほどすばらしいリターンが得られる投資はありません。
忘れないでください、「運動する時間をつくらない人たちは、いずれ病気のために時間をさくことになる」のです。

わたしの場合は、一週間に五回泳ぐことを目標にしています。
水泳がもっている回復パワーには、ことばにできない特別なものがあります。
毎週、その目標を達成しているといえればいいのですが、残念ながらいえません。
でも、そういった硬い目標をかかげていると、わたしの総合的な健康と生活の質にとって、最高の健康状態を維持するのがいかに大切かということに集中していられます。
プールで泳ぐたのびに、まちがいなくおなじ結果が得られます。
エネルギーがみなきって、落ちつき、安定して、しあわせな気分になるのです。
運動をしていると、このうえなく貴重に感じられるものも手に入ります。
それは、ものごとを見通す力です。

四十分かけて泳いだあとは、抱えている困難は小さく見えて、心配ごとはささいなものに思えます。
自分がこの瞬間を申し分なく生きているのがわかるのです。
体という寺院を大切にする行為は、人生の無上の喜びはしばしばもっともシンプルな喜びであることを思いださせてくれます。