クエーカー教徒が「静かで小さな内なる声」と呼んでいるもの、つまり、あなたの個人的な英知の源となっている「内なる指針」に耳をかたむけるのは容易ではありません。
まわりの世界があなたにプレッシャーをかけて、命令にしたがわせようとしているとき、自分の太鼓の音に合わせて行進し、自分の本能に耳をすますのはむずかしい場合が多いでしょう。
でも、あなたが探しもとめている満足と豊かさを見つけるには、それらをいちばん必要としてるときに、そういった直感や感性に耳をかたむけなければなりません。
年をとるにつれて、わたしは自分の本能にさらに重きをおくようになりました。
おなじく、わたしたち一人ひとりのなかに眠っている直感の自然な貯えに対してもそうです。
初対面の人から受ける印象や、試練のときに正しい方向へそっと押しだしてくれる内なる知恵は、仕事や私生活でさらに大きな役割をはたすようになりました。
年をとるにつれて、自分の本稿を信じる能力がそなわるようです。
”目的をもって”生きているとき、つまり、なにかを遺したいと思って日々の活動をしているとき、わたし個人の本能が強くなることにも気づきました。
正しいことをしてm、自然が意図したとおりに暮らしていれば、いままで気づかなかった能力が目ざめ、あなたという人間の真の姿が全面的に解き放たれるのです。
紀元前のインドの哲学者であるパタンジャリは、雄弁に語っています。
あなたがなにか偉大な目的や遠大な計画に駆り立てられたとき、あなたの思想はすべての束縛を
打ち破ります。あなたの心はすべての限界を超越し、意識はあらゆる方向へと広がり、あなたは
自分が新しい、偉大な、すばらしい世界にいることに気がつきます。いままで夢にも思わなかった
ほどすばらしい人間であることを、あなたは発見するのです。