2009年11月20日金曜日

きき上手・頼み上手になる

「きくはいっときの恥、きかぬは一生の恥」ということわざがあります。

最近、つぎのような新聞の案内広告を見ました。
「11月28日、土曜日、午前4時、(どこそこの)ドラッグストアにいた、褐色のスエードのコートを着た美女へ。
雑誌の田なの前で、あなたはぼくにぶつかりました。
あなたと会って、お話しがしたいのですが」

この広告をのせた男性は、自分の電話番号を書いていました。
運命は彼に機会を与えたのに-ひょっとすると、彼は夢の女性に出会ったのかもしれません-彼はその機会を棒に振ってしまったのです。
そしていま、”きかなかった”ことを後悔したあとで、なんとかその女性を見つけたいという必死の思いに駆られて、新聞に広告を出さざるを得なくなったのです。

きけばきくほど多くの答えが得られますが、きき上手になるには練習が必要です。
だめでもともと。
仏教の賢人がいったように、「的を射た矢は、的を百回はずした結果」なのです。
このさき数週間、お気に入りのレストランでもっといい席を頼んだり、地元のアイスクリーム・ショップで無料のふたすくいめを頼んだり、つぎに飛行機に乗るときに無料のアップグレイドを頼んだりして、”きく筋肉”をほぐしてください。

ほしいものを心をこめて頼むだけで、あまりに多くが手に入るので驚いてしまうかもしれません。
ほしいと頼めば、少なくともほしいものを手に入れるちゃんるが生まれるのです。

なにかをきく力に関する本で最高の一冊は、わたしの友人で講演者仲間のマーク・ヴィクター・ハンセンと、自発性の権威であるジャック・キャンフィールドの共著、『Aladdin Factor』(アラジンの要因)です。
実践的なアイディアと簡単なテクニックを満載したその本には、つぎのサマセット・モームをはじめとする、すばらしい引用も豊富です。

「人生とはおかしなもので、最高のものだけを望んでいると、最高のものが手に入ることが多い」

2009年11月19日木曜日

自分から運命を引き寄せる

「そうなるのであれば、それはわたし次第だ」というのは、すばらしいマントラです。

最近、新聞で読んだのですが、人口の優に十パーセントの人びとが、宝くずに当選して引退後の資金にあてると断言しているそうです。
未来の質を、選択ではなく偶然に託している人が多すぎます。
それを読んで、弟が子どもだったころの習慣を思いだしました。

カウンターから落ちそうなグラスを見ると、彼は駆けつけてグラスをとめよとはせずに、両手で耳をふさぎ、グラスが割れる音を聞かないようにするのです。

この逸話から得られる知恵は、たんにこういうことです。
わたしたちは世の中の現実に対して耳目を属さなければならない。
こちらが人生に働きかけ、なにかが起きるような行動をとらないと、人生のほうから働きかけてきて、こちらが望まない結果がもたらされるでしょう。
それは、人間を何千年も支配してきた自然の法則のひとつです。
これから数週間でもっと主体的になるために、自分自身を運命の最高経営責任者、人生のCEOとみなしてください。

すべての有能なCEOは、「そうなるのであれば、それはわたし次第だ」ということをわかっていて、自分自身の夢をすすめる行動をとります。
おなじように、なにかを成しとげたいのであれば、運が向いてくるのを待つのではなく、運をつかむ手段を講じるのです。
問題の解決や機会をとらえることに力を貸してくれそうな知り合いがいたら、すぐに電話をかけましょう。

いいですか、あなたは弁解することもできるし、進歩することもできます。
でも、その両方はできません。

弁護士をしていたころ、わたしはダウンタウンにある高層ビルのオフィスまで、45分かけて電車通勤していました。
毎日きまって目の前にすわる男性がいたのですが、わたしは彼を「人生のCEOになる」という規範のモデルとみなすようになりました。

ほとんどの通勤客が居眠りをしたり、とりとめのない空想にふけったりしているのに、その男性は運動をしながら45分をすごしていました。
席にすわってから駅に着くまで、腕のストレッチをしたり、首をまわしたりして、健康を向上させる一連の運動を正確にやっていたのです。
運動する時間がないとこぼす大勢の仲間入りをせずに、自分でことを運び、機会を活用していました。
たしかに、ちょっとばかげて見えました。
でも、自分が正しいことをしているとわかっているときは、他人にどう思われようと気になりません。

自分自身を人生のCEOとみなせば、自分の世界を見る目が抜本的に変わります。
乗客として人生を航海するのではなく、あなたが船の船長になるのです。
そして、変化する気まぐれな潮の流れに左右されるのではなく、あなたが選んだ方向にすすむのです。

人生をされにうまくコントロールしながら、心理学者のウィリアム・ジェイムズの示唆的なことばをじっくり考えてみてください。
「現実に対する人類共通の本能があるから、世界は本質的につねに勇者のための劇場になっている」

2009年11月18日水曜日

散歩をするときは目的をもたない

十年近く前になりますが、わたしの父から郵便小包が送られてきました。
すりへった古い本が入っていて、表紙の裏にはつぎのような献辞が書かれていました。
「この前、とある古本屋でこの本を見つけた。値段はたいした額ではなかったが、中身は非常にすばらしい。わたしは楽しく読んだが、きみもそうであってくれることを願う。父より」

1946年に出版された『人生を最大限に生かす』という本で、いまではわたしの知恵の書や自己啓発書のなかで、宝物のひとつになっています。
「目をさまし、生きなさい!」、「長生きのしかた」、「一日24時間をどう生きるか」といった題の短いエッセイを集めたものなのですが、この十年のあいだに何度も読み返し、そこに書かれている教訓のおかげで大きく成長することができました。
ほんとうに貴重な財産になっています。

最近、雨が降った日にその本を取りだしてページを繰っていたとき、「散歩のしかた」という章が目にとまりました。
著者のアラン・ディヴォーはその章のなかで、どうしたら散歩を最大限に楽しめるかに関する洞察を述べています。

まず、散歩をするときは特定の目的をもってはいけない、と彼は忠告しています。
目的地を決めずに、散歩そのものがもっているうつくしさに身をひたすべきなのです。

つぎに、散歩をするときは心配ごとをもちこんではいけません。
心配ごとは家においてきてください。でないと、散歩が終わるころには、あなたの心に深く根をおろしているでしょう。
そして最後に、十分に認識してください。
景色、音、においに対してしっかり注意をはらえるように、自分をきたえるのです。
木の葉のかたちをじっくりながめてください。
雲の美しさや花の香りに注目しましょう。

アラン・デヴォーはこう結論づけています。

「結局のところ、世の中をながめ、香りを嗅ぎ、質を感じ、ひとりでそのなかにひたる機会をもてば、世の中はそれほど耐えがたいものではないことがわかります。そのように世の中と親しくまじわること-子どものころに感じた魔法のようなしあわせと驚異がよみがえること-こそ、散歩の目的なのです」

2009年11月17日火曜日

思考に向く環境をととのえる

成功した人生に関する、時代を超えた真実のひとつは、ひとことで述べることができます。
あなたの思考が、あなたの世界をかたちづくるのです。
生活のなかで焦点をあてるものが成長し、考えていることが広がり、こだわっているものが運命を決めます。
人生とは自己達成的な予言で、あなたが人生に期待しているものを与えるのです。

ヘレン・ケラーはこういっています。
「星たちの神秘の探求、知られざる土地への航海、人の魂へと続くあらたな扉をひらくこと。
悲観主義者でこれらを成しとげた人はひとりもいません」

この原則を考えると、もっとしあわせで落ちついた人間になるための第一歩は、考え方を整理して、思考を浄化することです。
その内面的な行為を始めるいちばんいい方法のひとつは、あなたのまわりの環境の質を改善することでしょう。

わたしがサンフランシスコの大きな集まりでスピーチをしたあとのことです。
ひとりの年配の女性がゆっくりと近づいてきて、高齢の女性がよくやるように、わたしの手をとりました。
彼女はわたしの目をまっすぐに見て、こういいました。
「この一時間、よりすばらしい人生を送るための洞察を拝聴しましたが、すべておっしゃるとおりだと思います。長年にわたって、自分のまわりにあるものが、わたくしたちの気分、考え方、夢をかたちづくるのだと思っておりました。ですから、わたくしは小さな家のすべての部屋を、新鮮な花束で飾っています。わたくしはけっして裕福ではありません。でも、それは絶対に欠かせない唯一のぜいたくなんです」

その女性は、すばらしい環境は出費ではなく投資である、ということを知っていたのです。

自分の環境を、よく、しっかり見てください。
あなたの考えることは、あなたがつきあう人びと、読む本、話すことば、日々の物質的環境によってかたちづくられます。

あなたは職場でネガティブな人びとと時間をすごしていますか?
だとしたら、彼らはやがてあなたをネガティブで皮肉な人間にしてしまうでしょう。

あなたは家で暴力的なテレビ番組やくだらないビデオを見ていますか?
だとしたら、あなたの心は落ちつきをなくし、ざわついたものになってしまうでしょう。

あなたの職場は、明るくて、カラフルで、インスピレーションを与えてくれますか?
これから何週間か、あなたの職場環境と住環境を向上させる対策を講じてください。
考え方、感じ方、ふるまい方が改善されたことが、すぐにわかるでしょう。

2009年11月16日月曜日

いい映画から学ぶ

わたしは映画が大好きで、時間があるときはいつも見ています。
よく幼い娘と息子をつれていき、ポップコーンを食べながら、人気のある最新のアニメ映画を楽しみます。
家でまねして遊ぶ数多くの新しいキャラクターを思い浮かべながら、いつも笑顔で映画館をあとにします。

講演で旅に出ているときも、一日が終わると二、三時間の時間をつくり、行く先ざきの街の映画館でいい映画を観るようにしています。
映画はくつろがせてくれるだけでなく、別世界へつれていってくれ、わたしを奮いたたせて、人生がもっている無限の可能性についていつも考えさせるのです。
映画は、わたしの内なる夢想家をひっぱりだしてくれるのでしょう。

最近、わたしは『ライフ・イズ・ビューティフル』というイタリア映画を観ました。
字幕スーパーつきでしたが、三時間ちかく釘づけになってしまいました。
映画を観て感動したのは、ほんとうに久しぶりです。

物語の大半は、やさしい父親と幼い息子の関係に焦点があてられています。
最初のうち、ふたりはいつもいっしょで、ともにすばらしい時をすごしています。
ところがある日の午後、突然、ふたりは家からつれさられて、帰社に乗せられ、悪名高いナチの強制収容所、アウシュヴィッツへ送りこまれてしまうのです。

映画の後半では、父親はなんとか息子を生かしつづけようとするだけでなく、恐ろしい試練のなかでも息子のしあわせを守ってやろうとします。
父親は最後はみずからの命を犠牲にしてしまいますが、『ライフ・イズ・ビューティフル』という映画は、人生は贈り物であり、わたしたちは日々の暮らしのなかで最善をつくさなければならない、ということを思いださせてくれます。

いい映画を観ると、視点がよみがえり、もっとも大切なことが再認識できて、人生におけるあらゆることに対して情熱的でいられます。

哲学者で詩人のラルフ・ウォルドー・エマソンはこういっています。
「情熱がなければ、偉大なことはなにひとつ達成できない」

2009年11月15日日曜日

家族で食事をとる

わたしが成長期のころ、母が築いてくれた数多い家族の伝統のひとつに、毎日みんなで食事をする、というものがありました。
父、弟、わたしは、どんなことをしていても、家に帰って夕食をとらなければならなかったのです。
その席でふたたび顔を合わせ、終わろうとしている一日のできごとについて話し合いました。

父はよく食卓をまわって、その日あらたに学んだことを話すようにいいました。
あるいは、シャツのポケットから新聞の切抜きを取りだして、その記事に関して活発な議論をするようにうながしました。

毎日、全員で食事をするという特別な伝統のおかげで、家族のきずなは強くなり、しあわせな思い出もたくさんもたらしてくれました。
わたしはいまの家族生活でもその伝統を守っていますし、わが子たちも続けてくれることを願っています。

家族でとる食事は、べつに夕食でなくてもかまいません。
わたしたちは忙しい時代に生きています。
とめどない個人的な約束があります。
わが家の子どもたちも、サッカーの練習、ピアノのレッスン、バレエのクラスがあるので、夕方にいっしょに静かな食事をとるのはむずかしいかもしれません。
スケジュールさえ合えば、家族の食事は朝食でもランチでもかまいません。
一日の終わりに、ミルクとクッキーで手ばやい軽食をとってもいいでしょう。

大切なのは、毎日、いちばん愛する人たちと食事をする時間をつくり、もっと豊かで有意義な家庭生活を築く努力をつねに心がけることです。

2009年11月14日土曜日

「愛の口座」

マザー・テレサはかつて、
「わたしたちは偉大なことはできません。偉大な愛で小さなことをするだけです」
といいました。

あなたとあなたがもっとも大切にしている人びととのきずなを深めるために、きょう、あなたはどんな小さなことができますか?

相手の一日を少しでもいいものにするために、理由もなくどんな親切をほどこし、意味もなくどんなすばらしいことをしてあげられますか?

思いやりを深くすると、皮肉ともいえることが起きます。
他人になにかを与えるという行為そのものが、あなたもいい気分にしてくれることでしょう。

もっと愛を与える練習をするために、愛の口座をひらいてください。
毎日、まわりのだれかの人生に小さな喜びを与えることによって、この特別な口座にちょっとした預金をするのです。
まず手始めとして、これといった理由もなく配偶者に新鮮な花を買ってあげたり、親友にお気に入りの一冊を送ってあげたり、時間をとって、わが子たちのことをどう思っているかをはっきり伝えたりするといいでしょう。

わたしが人生で学んだものがひとつあるとすれば、それは、小さなことは大きなことである、というものです。
愛の口座に、日々、ささやかに預金すれば、銀行口座にどんな残高があるよりしあわせな気分になれます。

思想家で詩人のラルフ・ウォルドー・エマソンは雄弁に語っています。
「豊かな心がなければ、富はみにくい物乞いである」
あるいは、トルストイはこう書いています。
「しあわせを手に入れるためには、クモのように、愛という粘着性のクモの巣をあらゆる方向へ投げだし、そこに飛びこんでくるすべてを捕らえるのだ」

2009年11月13日金曜日

森のなかを歩く

自然を楽しみながら時間をすごしても、けっして損はしません。
森のなかを歩くことには、なにか特別なものがあります。
足どりが軽くなったような気がして、内なる静寂が全身に満ちあふれ、想像力が湧いてくるでしょう。
イタリアの有名な建築家で画家のレオナルド・ダ・ヴィンチは、こういっています。
「心の窓をとおして、魂は世界の美しさをじっと見つめる……自然の小さな景色のなかに宇宙のイメージがふくまれていると、いったいだれが信じられよう?」

わたしが好きな季節は秋です。
木々の葉は秋のあざやかな色を映し、森のなかをそぞろ歩くには最適の時期でしょう。
街の喧騒をはなれると、わたしが大切にしているさまざまな価値がさらに明確になって、人生のもっと大きな問題についてじっくり考えることができます。
あわただしい日常生活のなかでは、けっして答えの出ない問題を、小川のほとりで足をとめ、苔むした岩に腰をおろしてくつろいだり、森を歩く人しか味わえない香しさを胸に吸いこんだりできます。

その自然のオアシスをあとにするとき、わたしは別人になっています。
もっと注意深くなり、エネルギーに満ちあふれ、生きいきしているのです。
古くからある偉大な知恵の多くは、いつも森を歩くことで得られる回復力を重視しています。
生気を与えてくれるこの訓練は、いつもうれしい結果をもたらしてくれます。

2009年11月12日木曜日

沈黙の誓いをたてる

仏教の修道僧たちは、意志の力を強くする得意の戦略をもっていますー精神力と決意を生みだすために、その戦略は多くの文化で長年にわたって使われてきました。

それは沈黙の誓いです。
たとえ短いあいだでも黙っていれば、意志の力と自制が生まれます。
というのも、話したいという衝動に屈しないことで、意志に対して力をおよぼしているからです。

多くの人びとはしゃべりすぎています。
正確に、必要なことだけを伝えるのではなく、延々と話してしまいがちです。
それ自体が、自制のなさを物語っています。
自制とは、必要なkとおを正確に話し、必要以上にしゃべらずに、貴重な精神的エネルギーを残すことです。
考えぬいた、正確なスピーチは、明晰な思考と落ちついた心をもっている証にもなります。

きょう、自制を向上させるためにあなたがとれる戦略は、これから七日間、一日一時間の沈黙の誓いを守ることです。
その沈黙の時間中は、いっさいしゃべってはいけません。
どうしても話さなければならないときは、質問に対して、簡潔にてきぱきと答えるだけにしてください。
ゆうべ観たテレビの内容や今年の夏休みはどこですごしたいかなど、ぺらぺらしゃべってはいけません。

沈黙の誓いは、礼儀正しく、そして愛情をこめて取り入れることができます。
その目的は、あなたをもっと強くして、意志の力を高めることで、人間関係をさまたげることではありません。
ほんの数日で、内側から達成感と力がわきあがってくるのを感じるでしょう。

結果で判断してください。
結果そのものが物語ってくれます。

2009年11月11日水曜日

冒険心を取りもどす

教師たちは山に登っています。
企業家たちは熱気球を飛ばしています。
おばあさんたちはマラソンを完走し、主婦たちは空手を習っています。

きまりきった生活が増えれば、日常を本物の冒険でいっぱいにしてやる必要がますます大きくなります。
集中を要する義務が増えれば増えるほど、自己満足という手かせ足かせをはずし、あらたな勇ましい気晴らしで心を高揚させてやることが重要になってきます。
「時計やカレンダーに目をくらまされ、人生の一瞬一瞬は奇跡と謎であることを忘れてはならない」
イギリスの小説家、H・G・ウェルズはそう書きました。

自分自身の人生の奇跡と謎ともっと深くつながるために、子どものころにあった冒険心を取りもどすという誓いをたててください。

ありふれた日常にもっと大きな情熱とエネルギーをもたらしてくれる12の気晴らしを書きだして、来年一年、ひと月にひとつずつ取り組むのです。
それはあなたの生き方を徹底的に変えるきわめて有効な方法です。

2009年11月9日月曜日

相手を理解し、大切にし、尊敬する

人間がいちばん望んでいるのは、理解され、大切にされ、尊敬されることです。
しかし、わたしたちが暮らしているあわただしい日々のなかでは、人の話を聞くということは、相手が話し終わるのを待つことに過ぎない、と思っている人があまりに多すぎます。

なお悪いことに、相手が話しているあいだ、わたしたちは話の要点を整理せずに、自分がどう答えるかを考えている場合が多いのです。

時間をかけて相手の意見を理解すれば、あなたは相手のいいたいことを尊重しており、相手をひとりの人間として大切に思っていることを示せます。
話している相手の”眼球の裏に入りこんで”、相手の視点で世界を見るようにすれば、相手ともっと深く結びつくことができて、長続きする信頼関係が築けるでしょう。

耳がふたち、口がひとつ与えられていることには、ちゃんとした理由があります。
しゃべる二倍は聞きなさい、というわけです。
聞き上手になるという礼儀をわきまえれば、もうひとついいことがあります。

あなただけが話しているわけではなくなるので、学ぶことができますし、いつものように一方的にしゃべっているときには得られない情報が手に入るでしょう。

聞き上手になるためには役立つ情報をいくつかあげておきます。

   *あなたが話しているとき、相手が60秒間なにもいわなければ、あなたの話を理解していない可
   能性が十分にありますから、もうあまりしゃべらないほうがいいでしょう。
   
   *相手の話をさえぎりたい誘惑を抑えてください。その前にひと息入れ、相手の話している中身に  
   もっと注意を払いましょう。
   
   *適切であれば(すなわち、仕事の場で)、メモをとりましょう。
   相手が話しているときにノートを取りだしてメモをとるという行為ほど、相手の話から真剣に学びた
   いと思っている姿勢を伝えられるものはありません。
   
   *相手が要点を述べたあとで、すぐにあなたの意見をいうのではなく、いま聞いたことをじっくり反
   芻してください。
   たとえば、「念のためにおききしますが、……ということでよろしいですか?」と、誠意をもってきけ
   ば、日々の生活で出会う人びとともっと親しくなれるでしょう。

2009年11月6日金曜日

わが子に楽しい時間をプレゼントする

父の日に、息子が学校から手書きのカードをもって帰ってきました。
表紙には彼の小さな手形が押してあり、カードのなかに貼ってある息子の小さな写真のうえには、つぎのことばが書かれていました。
  
  ぼくが小さくて、かぐやかべにいつもしもんをべたべたつけるから、パパはときどきがっかりしている
  よね。でも、ぼくはまいにちそだっています-いつかぼくが大きくなったら、そういった小さな手のあ
  とはきっとぜんぶきえてるよ。
  だから、小さなときにぼくのゆびがどんなふうだったかをちゃんとおもいだせるように、さいごの手の
  あとをのこしておきます。

子どもの成長はとてもはやいものです。
分娩室のなかに立って、息子が生まれてくるのを待っていたのが、ついきのうのことのように思えます。
その二年後には娘が生まれました。
子どもたちにもっと時間をさくのは、”仕事がちょっと落ちついてから”とか、”出世してから”とか、”来年、もう少し時間ができてから”といって、自分自身と約束するのは簡単です。
でも、こちらから人生に対して行動を起こさなければ、人生のほうからこちらに行動を起こしてくる習性があります。

知らないうちに数週間は数ヶ月になり、数ヶ月は数年になって、小さかった子どもは大人になり、自分の家庭をもってしまいます。
あなたがわが子たちに与えられるもっとすばらしい贈り物は、あなたの時間です。
そして、あなたが自分自身に与えられるもっともすばらしい贈り物のひとつは、子どもたちと楽しくすごし、彼らの真の姿をながめることです。
子どもたちは人生の小さな奇跡なのです。

アメリカで活躍しているレバノンの詩人、ハリール・ジブランは、『預言者』という本のなかで、わたしよりはるかに説得力のある表現をしています。

「あなたの子どもたちは、あなたの子どもたちではありません。彼らは生命そのものがみずから待ちこがれて生みだした息子たち、娘たちなのです」           

2009年11月5日木曜日

ライフ・ストーリーを書き直す

時間に関してもっともすばらしいことのひとつは、前もって時間をむだにできないという事実です。

あなたが過去にいかに時間を浪費していたとしても、これからやってくる時間は、完全無欠で、損なわれておらず、いつでも最大限に活用できる状態になっています。
過去になにかが起きていたとしても、あなたの未来には一点のくもりもありません。
毎日、夜明けはまったくあらたな生活を始める機会をもらたす、ということをわかってください。

あなたさえその気になれば、明日から早起きして、もっと本を読んで、運動をして、正しい食事をして、あまり心配しないようにすることもできるのです。

作家のアシュリー・ブリリアントは書いています。
「いつでも、わたしはなりたいと思っている人間になりはじめることができます-でも、いつにすればいいのでしょう?」

あなたが日誌をひらき、白紙のページにライフ・ストーリーを書き直しても、だれもとめたりしません。
まさにその瞬間、あなたは人生をどう展開させ、主要な登場人物をどう変え、あらたな結末をどうするのかを決定できるのです。
ただひとつの問題は、あなたがそうするかどうかです。

いいですか、いつもなりたがっていた人物になるのに、遅すぎるということはありません。

2009年11月1日日曜日

”やすらぎの場所”

だれもが神聖な場所、つまり、じっと静かにしていられる”やすらぎの場所”を必要としています。

その特別な場所は、ストレスがあふれる世の中で、あなたにとってオアシスとなるでしょう。
多忙な日々の営みはあなたから時間とエネルギーと注意力を奪い去りますが、そういったものから避難できる場所になるのです。

神聖な場所は、意匠を凝らした場所である必要はありません。
使っていないベッドルームでも、アパートメントの片隅でもかまいません、テーブルのうえに切ったばかりの花があれば申し分ないでしょう。
お気に入りの公園にある木のベンチでも、やすらぎの場所になります。

ひとりになりたくなったら、その神聖な場所を訪れて、多忙な一日のなかではおろそかにされがちな「精神的成長」をうながすことをしてみてください。
日誌を書いたり、心なごむクラシック音楽を聴いたりするのです。
目を閉じて、理想的な一日を想像しましょう。
母親がいつも勧めていた本や知恵の書をじっくり読んでください。
あるいは、三十分のあいだなにもせずに、孤独がもたらす回復力に身をゆだねるのです。

自分自身のためにわずかな時間をさくのは、けっしてわがままな行為ではありません。
内なる貯えを増やせば、あなたはもっと多くを与え、もっと多くのことをなし、ほかの人びとにとってもっとすばらしい人間になることができます。
心と精神を大切にする時間ができれば、あなたは精神的に安定し、熱意を保ち、若々しくいられるでしょう。

ドクター・L・F・フェランは、かつてこういいました。
「若さは年齢ではありません。気持ちです。理想を捨て、若いという自覚がなくなったとき、人ははじめて年をとるのです。歳月は肌にしわをきざみますが、情熱を失うと魂はしわだらけになります……。疑い、恐れ、絶望すれば、それだけ老けこみます。若さを保つためには、若いという信念と自信を希望をもちつづけることです」